桑名宿のしおり  第1回  七里の渡し跡

仏教伝来から江戸時代まで、私たちの目の前には「神社の中に寺院 があり、寺院の中に神社がある」風景が、何の不思議もなく当たり 前にありました。たとえば「お伊勢参り」は、神宮に参拝し、道中 の多くの寺院にもごく自然に参詣したのです。特別参拝の伊勢の神 宮から比叡山延暦寺まで、紀伊熊野、奈良、京都の世界遺産を含む 西国一五〇社寺の「巡拝の道」。木曽3川の一つ揖斐川の河口に面 し、東海道の伊勢の国へ入る「巡拝の道」の東の玄関として、尾張 の宮(熱田)から海路七里あったことからこの名前が付けられまし た。 そこで宮と桑名の間は東海道で唯一海路を船で渡るということになっ たのです。宮までの所要時間は潮の干満により航路が異なりますが、 3〜4時間はかかったようです。

ここから伊勢路に入るため、天明年間(江戸時代後期)に伊勢の一の鳥居が建てられ、以来伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。この鳥居は平成5年の遷宮以前には内宮の宇治橋の外側に建っていた鳥居です。その20年前は外宮の正殿の棟持柱でした。このように伊勢神宮の遷宮は建造物のリサイクルも考慮したシステムになっていることから、日本の先人たちは、ずいぶんロハスな思想の持ち主だったことを物語っています。







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